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「アルメニア性」とハチャトゥリアン(3): 《ヴァイオリン協奏曲》とアルメニア民俗音楽

 前回のエントリから間が空き、本番前日となってしまいました。申し訳ありません。ここで最後のエントリ、ハチャトゥリアンの《ヴァイオリン協奏曲》とアルメニア民俗音楽がどのように関わっているのか、という点に迫っていきたいと思います。
《ヴァイオリン協奏曲》が、ハチャトゥリアンの「音楽における民族的指向」、そしてソヴィエトの芸術政策がちょうど時季を一にした結果の産物であることは、すでに前のエントリで書いたとおりです。
 それでは、実際に、《ヴァイオリン協奏曲》のどの部分が、どのようにアルメニア民俗音楽と関わっているのか、というお話に入っていきましょう。


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 では、その作曲家が意図した《ヴァイオリン協奏曲》における「アルメニア性」とは、具体的にどのようなところに象徴されているのか、という話に入っていきたい。この作品を聴いたとき誰しも思うのは、旋律の「東洋性」だろう。もう少し踏み込んでみると、西ヨーロッパの芸術音楽とは違う音階をもっていて、また和音の作られ方も違う、という言い方ができるだろう。これらが醸し出す「東洋っぽさ」を念頭に、この作品のいくつかの部分を検討してみよう。


 作曲家アラム・ハチャトゥリアンは、1938年に《ヴァイオリン協奏曲》ではなく、バレエ《幸福》という作品のためにアルメニアにおいて民俗音楽の採集を行った。この《幸福》は、実は後の《ガヤネー》(ガイーヌ)なのだが、このときに採集されたアルメニアの民俗音楽が、1940年の《ヴァイオリン協奏曲》には生かされている。

 《ヴァイオリン協奏曲》では、ソロヴァイオリンは当然として、非常に目立つパートが2つある。それは、クラリネットとチェロである。この作品におけるこれら2つの楽器の役目は、実はアルメニアの民俗楽器を模したもので、それぞれドゥドゥクとケマンチャに対応している。ドゥドゥクは主にアルメニア・アゼルバイジャンで使われるダブルリードの木管楽器で、(当然だが)オーボエに似た音をもつ。ケマンチャはトルコ・ペルシア由来の擦弦楽器であり、縦に構えて水平方向に弓を用い、またさまざまなサイズが存在する、ヴィオラ・ダ・ガンバやチェロに似た楽器である。《ヴァイオリン協奏曲》の中でのこれらクラリネットとチェロの使われ方は、いずれもヴァイオリンソロと対等に渡り合うものとして書かれている。単に「リズムを構成し、またオブリガートを担当する」だけでなく、「ソロと対等ないし、ソロを凌いで旋律を奏でる楽器」としての地位を与えられているのである。このことは、これらの楽器が、単にアルメニアのドゥドゥクとケマンチャを模したものとして使われているということだけではなく、《ヴァイオリン協奏曲》がアルメニアにおける民俗音楽の様式とも密接に関わっていることを示唆している。


 アルメニアにおける主な民俗音楽の様式は、歴史的に言えば、吟遊詩人(アシューグ)たちの音楽がその底流をなしている。つまり荒っぽく言えば、日本における「琵琶法師」と『平家物語』のようなものである。叙事詩の歌い手と楽器奏者のグループが、村々を訪ね歩いては詩を吟じ、楽器を奏でる。アルメニアにおけるアシューグとは、そのような存在であった。付け加えて言えば、世界各地の民俗音楽の発生形態とは、往々にしてこのようなものであり、たとえば古代ギリシアのアオイドス、中世ゲルマン社会におけるスコプ、ロシアの吟遊詩人スコモローヒなどもまた、それぞれの地域における音楽の歴史的源泉であったと言えるだろう。それらと同じように、アルメニアにおける民俗音楽の起源は、このアシューグにあった。しかし、古代ギリシアや中世ヨーロッパ、ロシアのそれらとアルメニアのそれらにおける相違点は、キリスト教との関係にある。前者においてはキリスト教の伝播と同時に弾圧・排斥にあったのに対して、アルメニアではそのようなことが起こらなかった。正確に言えば、アルメニアではそれが起こらなかったわけではないが、前者とは違い、厳格な教義と強力な教会権力を(相対的に)持たなかったために、キリスト教ないし教会からの弾圧が効果的に行われなかったのである。そうして、アルメニアにおけるアシューグの文化は、近代まで生きながらえたのであった。


 この「吟遊詩人の文化」が近代まで続いたことは、アルメニア音楽の、いわば「東洋性」と関係している。ヨーロッパでは吟遊詩人に由来する音楽がキリスト教に由来する芸術音楽(いわゆる「クラシック」)にとってかわられたのに対して、アルメニアにおいてはそのようなことが起こらなかった。端的に、しかも非常に乱暴に言えば、その点においてアルメニアの民俗音楽は、日本で言うところの義太夫節や歌舞伎の囃子のような性格を持っている。


 《ヴァイオリン協奏曲》における東洋性は、旋法や和声もさることながら、このような「東洋的形式」にあるのではないだろうか。つまり「ソナタ形式の第1楽章」と言った視点ではなく(実際第1楽章はソナタ形式なのだが)、作品全体を「舞(まい)」と「謡(うた)」、「曲(きょく)」として見ることが、もっともこの作品の理解にかなっているのではないか、ということである。実際に作品と照らし合わせてみよう。たとえば第1楽章は「舞」に始まり「謡」がつづき、「曲」を経て「謡」に戻る、というパターンの組み合わせでできている。カデンツァは「謡」であり、「大見得」である。第2楽章は「語り」ではじまって「謡」に入り、「曲」が続き、「謡」に戻る。第3楽章は「ロンド形式」というよりも、むしろ「舞」と「謡」が交互に入れ替わる形でできており、最後にヴァイオリンの「舞」とチェロ(と言うよりもむしろアルメニアのケマンチャ)の「謡」が重なる構造になっている。


 このように《ヴァイオリン協奏曲》は、その形式においてすぐれて東洋的に構成されているのである。その点において、この作品は西洋芸術音楽としての楽式の見地から見られるべきものではなく、舞曲と民謡を基調としながら、「語り」と「曲」を交えた、「言葉のない」吟遊詩人の叙事詩として見られるべきなのではないだろうか。


 そこで、この作品における民謡の引用ないし模倣という点を指摘しておきたい。ハチャトゥリアンは、この作品のなかで明確に民謡の引用と言えるような技法は使用していない。つまり、明らかに何かほかの民謡の旋律を、それと明確に同定できる形では転用していないということである。しかしながら、引用ではなく、「似た形」のものとして旋律に取り入れている部分はいくつもある。(西洋芸術音楽としての楽式という点で見た場合)第1楽章の第1主題はアルメニア民謡《進め、進め》、第2主題は同《小川》、舞曲《コチャリ》との関連性が見受けられる。また第2楽章は民謡《鶴》、第3楽章は民謡《小さい靴》と類似している。とりわけ第2楽章の《鶴》は、アルメニア民族のディアスポラ(離散)の悲しみと故郷への想いを歌うものであり、この民謡との類似性は、作品全体を「アルメニア的」たらしめる重要な要素になっていると考えられる。


 《ヴァイオリン協奏曲》に限った話ではないが、ハチャトゥリアン作品において特別に意識すべきであろうものとしては、「リズム」があげられる。この独特の「リズム」なしにハチャトゥリアンを語ることはできないであろう、というくらいに重要な要素と言える。しかしこの独特のリズムは、実はハチャトゥリアンだけの専売特許ではない。コーカサスからアナトリア(現在のトルコ)にかけての民俗音楽において、このようなリズムは特徴的なものではあるのだが、その地域の出身かつ世界に知られた作曲家の中で、抜きんでているのがハチャトゥリアンだからこのような事態になっている、とも言えるだろう。この地域の民俗音楽において、打楽器の重要性と多様性は他の地域と比較しても非常に大きく、また豊かでもある。トルコのメフテル(軍楽)で打楽器がさまざまに使われていることは、有名な《ジェッディン・デデン》などを見ても明らかであろう。また打楽器奏者、あるいはバンドでドラムスを担当する人なら、「ジルジャン」というシンバルのメーカーを知らない人はいないだろう。「ジルジャン」は、アルメニア系の姓である。17世紀の離散アルメニア人がトルコで起こしたシンバル工房が「ジルジャン」である。このような例は、コーカサス・アナトリア地域の民俗音楽における「リズム」の重要性に関する傍証と言えるかも知れない。ハチャトゥリアン自身、少年時代さまざまな打楽器に興味をもち、自宅の部屋で様々な鍋釜の類を叩いて遊び、父親からさんざん文句を言われたと自伝で記している。少年時代と言っても、5,6歳の頃ではなく、ティーンエイジャーになってからの話である。作曲家の「リズムへの興味・執着」は、もちろん作曲家個人の才能でもあろうが、のちにこの地域の音楽を自らのものとして世界に提示することにいたって、とりわけ重要な要素であったかもしれない。


 ハチャトゥリアンの《ヴァイオリン協奏曲》理解の要点は、以上に挙げたような、「民族楽器ドゥドゥクとケマンチャ」、「吟遊詩人の叙事詩」とそこに由来する「形式的東洋性」、「コーカサス・アナトリアのリズム」にある。そしてそれは、どれもアルメニアという地域の歴史に由来している。過去のエントリでも述べたが、このような点において、《ヴァイオリン協奏曲》は「ソ連のクラシック音楽」という視点を離れ、「ソ連」でも「クラシック」でもない、「アルメニアの民族文化が世界に向かって投影されたもの」として見られるべきものなのだ。


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以上、3回にわけて、ハチャトゥリアンの《ヴァイオリン協奏曲》について語ってきました。すでに日付が変わり、本番の日となりました。もっと早くにこの作品を語りきれなかったことを、お読み下さったみなさまにお詫びしつつ、明日(すでに日付けとしては今日)の演奏で、これまでブログに書いてきたことをみなさまに聴いていただければと存じます。


文:三浦領哉

参考文献:
ユゼフォーヴィチ,ヴィクトル(1986)『ハチャトゥリアン その生涯と芸術』(寺原 伸夫・阿蘇 淳・小林 久枝訳)、音楽之友社
Арам Хачатурян: Письма − М.: Композитор. 2005.
Хачатурян. А. И. Статьи и Воспоминания. − М.: Композитор. 1980.
Хубов Г. Н. Арам Хачатурян. М:. Советский Композитор. 1962.

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